作品
右卿語録
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1
わたしは今 真の書を生みたいと 必至である
身に備えあれば 胸に盈ちて来ると同時に
おのずから 作品は生まれる
何の怖れることも 歪めることもなしに
そっと
いのちを紙の上に 載せることはできないものか
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2
書というのは一口で言えば〝線活動〟です。線がものを言わなかったらだめです。
線といっても〝書線〟です。〝筋〟じゃないんです。
生命(いのち)というか、人間の内部の大事なものが、全部集約しているものですからね。
それはもう輝くわけです
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3
雅のない書というものは
どこに書としての価値があるのか
香のない花の如きもの
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4
歴史の上に立たないものは
一時の流行で終わることになる
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5
ブーム時代には本物がわからぬようになる。
ブームとは泡の如きもので、泡がいっぱいになって。
泡のもとの石鹸のおるところがわからない。
石鹸をつかまないで、泡ばかりつかんでいる。それが本物だと思い込んでいる。
そして、それを大事に握っている。
いつかあけてみたら、中に何もなし。
略年譜
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西暦
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年齢
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略歴
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1901
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高知県安芸町(現安芸市)に生まれる。本名南海巍(なみき)
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1915
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14才
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川谷尚亭の門に入る。
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1933
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32才
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南海書道会を興し、競書誌「南海書聖」を主宰する。
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1935
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34才
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上京。比田井天来の門に入る。書道芸術社同人に推される。
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1937
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36才
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第1回大日本書道院展で特別賞を受賞。同院参事、審査員、書学院教授に任じられる。
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1939
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38才
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蒼龍社を結成する。「尚亭先生書話集」を編集発刊する。
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1942
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41才
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興亜書道展審査のため南京へ出張。
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1946
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45才
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終戦後直ちに書壇再建運動に奔走。(財)日本書道美術院結成に参画、理事企画部長となる。
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1947
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46才
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書道芸術院結成。総務理事となる。
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1948
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47才
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毎日新聞社主催第1回日本総合書芸展(現毎日書道展)が開かれ、運営委員、審査員となる。
第4回日展に第五科「書」が新設され、委嘱出品。
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1950
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49才
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日本書作院結成。副会長に推される。第6回日展審査員。
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1951
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50才
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(社)日本書道連盟設立。理事となる。
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1952
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51才
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独立書道会(現独立書人団)を結成。代表となる。
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1955
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54才
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欧州巡回「墨の芸術展」と、翌年のアメリカ巡回展に出品。
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1957
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56才
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朝日新聞社主催第1回「現代書道二十人展」に依嘱出品(以降連続出品)サンパウロ・ビエンナーレ展に日本代表書家として、はじめて参加出品。
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1958
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57才
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リュッセル万国博「近代美術の五十年展」に日本代表として特別指定出品。最高殊勲金星を受賞。
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1959
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58才
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「右卿臨書集成」を発刊する。
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1961
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60才
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訪中書道使節として、中国各地を歴訪。
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1966
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65才
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専修大学に文学部が新設され、初代教授に就任。
日本書道専門学校を創設して、初代校長となる。
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1967
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66才
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東京三越本展で個展開催。同展に対し、翌年書道界初の「毎日芸術賞」が贈られる。
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1969
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68才
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ベルギー国主催「右卿とその一門展」開催。外務省第1回訪欧文化使節団長として渡欧。
高知県安芸市名誉市民に推挙される。
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1970
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69才
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講談社刊「現代書事典」の「少字数・象書篇」を監修。
日本万国博覧会(大阪)世界美術館に「飛」を指定出品する。
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1971
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70才
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毎日新聞社主催による「書業五十年手島右卿自選展」を東京で、翌年大阪で開催。
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1973
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72才
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東京で「手島右卿名筆展」を、続いて翌年愛知・高知で個展を開催。
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1975
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74才
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パリで「右卿とその一門展」を開催。外務省第2回訪欧文化使節団長として渡欧。
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1976
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75才
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東京で「右卿新作小品展」を開催。勲三等旭日中綬賞を受ける。
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1981
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80才
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静岡で「巨匠手島右卿書作展」を開催。
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1982
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81才
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アメリカ、ミネソタ州セントポール市、イリノイ州エバンストン市、二会場で、「手島右卿とその一門展」を開催。
文化功労者顕彰を受ける。
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1985
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84才
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中国、北京革命歴史博物館中央大正庁で日本人として初の「日本手島右卿書法展」を開催。
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1987
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鎌倉市で没する。 (享年85歳)